• 石を集めている

    講義の収録。無駄について。しゃべりながら気づく。意味のないものを意味のないままで認める勇気、謙虚さ、寛容さ。収録したものを聞いたら音声がガビガビでもう一度撮り直すことになってテンションが下がった。「無駄づくりのうた」を作った。みかんを食べた。打ち合わせを2つした。スプーンを1つ作った。

    わたしは石を集めている。といっても、きれいな石じゃなくて、そこらへんに落ちている石。気分の良い日、例えば友達と遊んだ晴れた公園とかお母さんと出かけた浜辺とかで拾って持って帰る。棚に並べて、その形一つ一つが思い出になってる。無用なものに価値を感じるのは人間の一つの特技。

  • 物作りの好きなところ

    通院。そのあと、スプーンを2つほど作った。また、作った物の動画の編集などをしていた。

    未来や過去も包括した現在に集中して作業をすること。集中して、いつのまにか自分の意識がなくなっていくこと。アイディアがたくさんでてきて、心を満たしてくれること。

  • 【肉まんあるある】

    値引きされてる

  • 無駄のあるルーティンをつくる

    今日は一件取材を受け、あとはとある企業とのコラボレーションの無駄づくりを作ったり、展示の企画書を作ったりしていた。

    取材をすると「これからどういうことを目指しますか?」って聞いてもらえることが多いんだけれど、やりたいこととか、なりたいものはたくさんあるけれど、結局は今がすごく幸せだから、どんな風が吹いても、それを揺るぎなく守りたいなと思っているので、それを答える。昔はアレコレ願望を答えてたけれど、最近になってこの回答にたどり着いた。ちょっとかっこよくて気に入ってる。

    最近、「無風でいること」「風が吹いても揺らがないこと」の大切さを感じる。風に吹かれてゆらゆら変な場所にいくのも楽しいんだけれど、風を感じない部分っていうのも自分の中に必要だよなって考えるようになった。

    特に、日々のルーティンと時間の配分。私は朝起きてご飯食べて語学の勉強して、筋トレとストレッチして、30分ボーッと歩いて、無駄づくりをして、仕事して、ドトールで本読んで、家帰って、3曲くらい音楽流して踊って、動画見ながらダラダラする日々が最高で、どれか一つ欠けてもダメだし、なにか一つが増えたら生活の根本が変わる感じがある。

    ルーティンというと、なんか、時間の価値を考えちゃって、パッと見有用性のあるタスクを詰め込んじゃいがちなんだけど、その中に一つ、10分でも5分でもいいので、価値のなさそうなタスクを作って入れてみてほしい。例えば、「知らん食べ物のレシピを調べてみる」「南京玉すだれを練習してみる」「かっこいいポーズをキメてみる」とか。そういう有用性だけでは価値が決まらないタスクを毎日やっていると、”この5分だけは守らなくては”という気持ちになってくる。この5分を楽しむために生活の配分を改めて考えるようになるし、忙しさのメモリもわかるようになる。

    この方法は去年体調崩したときになんとか発見した方法で、今でもすべてがつまんなく感じちゃうときには「無駄のあるルーティンを作る・無価値なことをあえてやる」というメソッドでわりとパワ〜って感じになってる。みんなに効くかはわかんないけど。

  • 無駄博士

    なんとなく、今年の冬からロンドン大学で哲学を学んでバチェラーを取ろうと思ってるんだけど、それを友達に言ったら「You will be Dr.Useless」って言われて、無駄博士ってめちゃくちゃいいなあと思った。無駄を学問にして博士になろう。それが果たして現在最終学歴高卒(最終兵器彼女みたいだね)の私に可能なのかよくわからないけれど、まあ、人生ある程度のことは諦めなきゃ叶うでしょ。

    わたしの人生はすべて響きからはじまっている。「無駄づくり」が最たる例なんだけど、「無駄づくり」って言葉の響きにしっくりきて、そこから今まで活動を続けてきた。派生してオリジナルグッズを作る「無駄ゴスティーニ」というブランドもそうだ。居酒屋で酒を飲んだあと帰り道にふと思いついた言葉で、ずっとそれを大切にしている。

    だからピンときた言葉は大切にして、そこからいっぱい想像を膨らませてみる。その言葉にしっくりくる自分を妄想して、わくわくしたりしている。無駄をたくさん作って無駄について知り尽くしている博士がいる世界を自分の手で作れたらいいな。

    その前にロンドン大学(通信課程、めっちゃ学費が安い)に入学するにはある程度の英語のスキルが当たり前に必要で、それを証明するためにまずは英語の試験を受けなきゃいけなくて、今の英語レベルじゃとうてい無理なので、頑張って勉強しなきゃで、ビール飲みながらNetflixを見つつブログを書いている場合じゃないのよね。いつになったら無駄博士になれるのかな。みんなたまに思い出してエールを送ってね。

  • 余計なことで忙しい

    中国語を学んでるんだけど、「有钱有闲有健康」という言葉を学んだ。直訳すると、「金がある、暇がある、健康である」という意味なんだけど、金と健康の間に”暇”があるのって、超ゆたかでゆとりがあって最高だなと思った。

    潰しちゃうのが暇で、暇は潰されるもんだけれど、暇があるからこそ潰すことができるというか、暇っていうのは潰しがいがあるっていうか。

    「どう俺たちは暇を潰すのか」ということは私たちにとってとても大切な問いなんじゃないでしょうか。目に見えて有用な、例えば仕事に生かせる資格の勉強をするとか、語学の勉強をするとか。そういうのも最高だけど、私は有用性のない(かどうかわからない)ことで暇を潰していきたいなと思う。

    それは受動的なものよりか、もっと能動的なことをしたい。余計なことをしていきたい。で、「余計なことで忙しい」っていう文學界でやらせてもらってる連載と繋がるんだけれど、それで書いてるみたいな「メルカリで知らん子の絵を買う」「嫌いな食材で持てなされる」っていう余計なことをたくさんやっていきたい。

    プリンストン高等研究所を作ったエイブラハム・フレクスナーが彼のエッセーである「役に立たない科学が役に立つ」で「有用性とか関係なく、人間の精神を解放しましょう」って言っていて、それにけっこう影響を受けている。

    もっとも、わたしは、研究室でおこなわれるすべてのことが、いずれ思いがけない形で実用化されるとか、最終的に実用化されることがその正当性の証だとか、言っているわけではない。そうではなく、「有用性」という言葉を捨てて、人間の精神を解放せよ、と主張しているのだ。

    「役に立たない科学が役に立つ」エイブラハム・フレクスナー

    効率とか生産性などがメジャーにいる中で、有用性という言葉を捨てよ! というのはけっこうむずかしい。でも、きっと自分の精神のままに好きなことを学んで、ひらめき、作ることでおもしろいものがたくさんできあがるんじゃないかなと思ったりする。だから私は今日もなんにもならない散文をここに書くし、KPOPアイドルのダンスを覚えようと必死になったりしている。

  • どうでもいいことを

    無駄を削ぎ落として、巨大な無駄を作りたい。


    毎日いろんなことを考えているけれど、しっかりと言葉にして人に伝えることを怠っているなと思う。
    私は小学生のときからインターネットのこういうワケのわからん独り言みたいなブログの言葉にけっこう影響を受けて育ってきた。
    だから、自分もそういう役割ができたらいいなとおもっている。今までは年下のことなんて一切考えずに生きてきたけれど。というか、自分がまだ未熟すぎて、人に影響を与えるなんてことを考えることもなかったんだけれど。今はなんだか、自分がやっていることが良い感じにみんなに作用したらいいなと考えられるようになった。オバサンになったからかもしれない。


    noteとかも流行ってるみたいだが、男は黙ってWordPress!男は黙ってWordPress! Twitterで呟けばって話もあるかもしれないけれど、男は黙ってWordPress!

    なんでかって、オカネとかバズとか数字とかいいねとかと関係ないところでのんびり思いついたことをやる、書く、そういう場所が私には必要だと思うから。続くかわからないけれど、息抜きに書くから息抜きに読んでくれたらうれしいな。

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